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東京高等裁判所 平成8年(行ケ)56号 判決 1996年12月11日

岡山県倉敷市阿知1丁目14番16号

原告

高橋敬

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

指定代理人

小野寺務

寺尾俊

花岡明子

伊藤三男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成7年補正審判第50145号事件について、平成8年1月16日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和62年5月29日、名称を「流下式集熱器の受熱板の表面構造」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(特願昭62-134376号)が、平成5年6月30日付け手続補正書により、発明の名称を「熱媒体液の流下規正方法と流下規正シート」とし、願書に最初に添付した明細書(以下「当初明細書」という。)の全文を訂正する補正(以下「本件補正」という。)をしたところ、平成7年6月5日に本件補正の却下決定を受けたので、同年7月27日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を平成7年補正審判第50145号事件として審理したうえ、平成8年1月16日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年2月29日、原告に送達された。

2  本願特許請求の範囲の記載

(1)  当初明細書の特許請求の範囲の記載

輻射熱を受ける受熱板の表面に受熱媒体液を供給し、当該受熱媒体液を受熱板の表面に付着させ、付着した受熱媒体液を受熱板の表面に沿って流下させる流下式集熱器において、受熱媒体液を供給する位置から受熱媒体液を採集する位置にかけて流下方向に可撓性のある素材を接着し、この素材で流下する受熱媒体液の方向を規正する流下式集熱器の受熱板の表面構造。

(2)  本件補正による特許請求の範囲の記載

<1> 流下方向に沿って隣接して設けた親水性部分と疎水性部分に沿って熱媒体液を流し、親水性部分に付着した熱媒体液を疎水性部分が両側から挟むようにして移動途中の熱媒体液に方向性を持たせる一方、熱媒体液の付着しにくい疎水性部分の介在により熱媒体液を分割し、他方、親水性部分を用いて熱媒体液を流下面に均等に分布させるようにした熱媒体液の流下規正方法。

<2> 流下面に熱媒体液を供給し、流下面に付着した熱媒体液を流下させて熱交換を行なう流下規正シートにおいて、熱媒体液の流下面に疎水性部分とこの疎水性部分よりも熱媒体液の付着し易い親水性部分を隣接して交互に設け、両側を疎水性部分で挟まれた親水性部分により熱媒体液の移動経路を形成してなる熱媒体液の流下規正シート。

3  審決の理由の要点

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本件補正は、明細書の要旨を変更するものであるから、特許法53条1項の規定により却下すべきものであるとした。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由中、手続の概要、本件補正の却下決定の理由の概要、当初明細書の記載事項(審決書4頁17行~5頁14行及び6頁1~4行)の各認定は認めるが、本件補正が明細書の要旨を変更するものであるとの判断は争う。

審決は、本願発明の流下規正についての技術内容を誤認したため、本件補正が明細書の要旨を変更するものであるとの誤った判断をしたものであるから、違法として取り消されるべきである。

1  審決は、「これらの記載からみて、『接着』との用語の意味は、塗装や印刷により形成されたものをも含むと認められるものの、集熱板上に接着した素材は、たとえ数10ミクロンという微少なものであっても、あくまで高さ(厚み)を有することを前提とするものであると認められる。」(審決書5頁15~20行)として、接着後の素材には高さが必ず存在することを前提としたうえ、「当初明細書及び図面においては、熱媒体液の流下方向は、上述のように集熱板上に接着した素材の高さ(厚み)により規正されるものであり、流下面上の材質の性質の違いにより規正されるものではないと認められる。したがって、願書に最初に添付した明細書または図面には、流下面に形成された親水性部分と疎水性部分という材質の違いを利用して、熱媒体液の流下方向を規正するという技術的事項について記載されておらず、かつ、同明細書または図面の記載からみて自明の事項であるとも認められないから、上記日付でした手続補正は、明細書の要旨を変更するものである。」(同7頁17行~8頁9行)と判断しているが、以下に述べるとおり誤りである。

まず、当初明細書の記載において、受熱板の表面に接着する素材の「高さ」が必須の要件であり、流下規正の方法として素材の「高さ」による規正のみが開示されているといえるか否かについて述べる。

原告は、当初明細書にも補正された訂正明細書にも、熱媒体液の流下方向を規正するのは「高さ」の存在が必要不可欠であるとする説明は一切しておらず、また、「高さ」が存在してはならないともいっていない。

当初明細書にある「数10ミクロンから数ミリ」とは素材単独の「厚み」について言及したものであり、素材の接着後の突出する「高さ」についてのものではない。当初明細書には、「素材の厚みも数10ミクロンから数ミリに及ぶものまで、従来方法並びに周知の材料を用いて簡単に形成しそして接着することができる。」(甲第2号証7頁末行~8頁3行)と記載されており、接着後の素材には「高さ」が必ず存在しなければならないというものではない。

確かに、接着後の素材には、どのような接着方法を採用しようとも、必ず「厚み」の存在することは事実である。しかし、被接着面と素材の表面との位置関係、すなわち、接着する素材に「高さ」を加えるか否かの判断は、強いていえば、接着方法、熱媒体の流量、設置角度、姿勢に関係した選択事項である。

「接着」の形態について述べると、接着の一例として、加熱転圧(当初明細書3頁10行)による方法がある。疎水性下地の「シリコン系やフッ素系のシート材料」(同3頁17行)に親水性素材を加熱転圧して溶着一体化する際、素材をどの程度加熱し圧着させるかは接着加工時の選択事項である。下地に対する圧着荷重を大きく設定し、親水性素材をシート内に押し込めば、窪んだ親水性経路が造形される。この窪み経路は、シートの裏側(下側)にあっても、当初明細書に記載の規正効果が奏される。

また、接着剤を用いた単純な接触接着方法をとる場合でも、被接着材の表面には素材を嵌める窪みを予め形成しておくこともできるから、接着には必ず「高さ」を伴うとは断定できない。

2  次に、当初明細書において、流下規正の方法として、親水性と疎水性という材質の相違による規正が開示されているか否かについて述べる。

原告は、流下規正は高低差によっても行われるが、親疎差によっても行われると認識しており、高低差による流下規正が親疎差による流下規正を前提としないのと同様に、親疎差による流下規正も高低差を前提としていない。

当初明細書(甲第2号証)には、「こうした素材は、受熱板の材質が疎水性を備えている場合、親水性のあるものを選択することができ」(同号証明細書8頁4~6行)と記載されている。ここでいう受熱板には、「平板またはシート」(同4頁5行)が用いられるが、このシートに「シリコン系やフッ素系のシート材料」(同3頁17行)を使用すれば、被接着面は疎水性の部分であり、接着した親水性の素材は親水性の部分を形成していることになる。

疎水性の部分と親水性の部分が存在すれば、親水性部分の側部と疎水性部分とが境界をなしていることは自明である。すなわち、この構成は、親水性部分の両側に疎水性部分が、また疎水性部分の両側に親水性部分が存在していることに相当する。その結果、「流下する液体が集束したりまたは不規則に蛇行することがなくなり、比較的均一に広がった状態を維持して流下していく」(同7頁14~16行)との規正効果が得られる。

したがって、「熱媒体液の流下方向は接着した素材の高さにより規正されるものであり、流下面上の材質の違いにより規正されるものではない」との審決の判断は、根拠のない不当なものである。

なお、被告は、本件補正が明細書の要旨の変更にあたるとした根拠の一つとして、当初明細書等に開示のない「面一の場合」(両素材の表面が同一平面になる場合)が補正により含まれることになったことを主張する。しかし、原告は、本件補正により、親水性部分と疎水性部分の性質の違いを利用して流下規正することを発明の要旨とする補正を行ったのであって、この補正には、「面一の場合」を積極的に請求の範囲に含ませるような記載はない。

第4  被告の反論の要点

審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由は理由がない。

1  当初明細書(甲第2号証)においては、接着される「可撓性ある素材」として、親水性のある素材を使用した場合だけでなく、それ以外の素材を使用した場合も含まれるから、そのような場合には、熱媒体液の流下方向を規正するためには、素材の接着後の受熱板に、「高さ」が存在する必要があることは明らかである。

しかも、「可撓性ある素材」として、親水性のある素材を使用した場合に、その説明として、接着することにかえてこれを使用するとか、被接着材の表面に素材を嵌める窪みを予め形成してするとかの記載は、当初明細書及び図面には、全く記載されておらず、また、それをうかがわせる記載も全く存在しない。

仮に、「数10ミクロンから数ミリ」との記載が、素材単独の「厚み」について言及したものであったとしても、当初明細書に、被接着材の表面の形状、状態等に関し、一切記載されていない以上、被接着材の表面に素材を嵌める窪みを予め形成しておき、被接着材に可撓性ある素材を接着した後、面一のものを得ることが、当業者にとり自明のことであるとは、到底認められない。

また、「接着」の形態について、仮に、原告主張のように、疎水性下地の「シリコン系やフッ素系のシート材料」に親水性素材を加熱転圧して溶着一体化する際、素材をどの程度加熱し圧着させるかは接着加工時の選択事項であって、下地に対する圧着荷重を大きく設定し、親水性素材をシート内に押し込めば、窪んだ親水性経路が造形されること自体事実であったとしても、当初明細書には、ただ単に、「前記素材は、耐候性に優れたエラストマまたはプラストマ合成材料を使用することができる。こうした材料は、塗装、シルクスクリーン印刷、張り付けあるいは加熱転圧等の技術により受熱板の表面に接着され、種々のパターン模様を描いて設けられる。」(同号証明細書3頁7~12行)と記載されているのであって、種々の接着手段を羅列している中で、特に「加熱転圧」において、「下地に対する圧着荷重を大きく設定し、親水性素材をシート内に押し込み、窪んだ親水性素材を造形する」ことに関して、全く記載されておらず、また、加熱転圧技術において、特に圧着条件等何も明記されていない以上、上記のようにすることが当業者にとって自明の事項であるとも、到底認められない。

2  次に、当初明細書の「発明の効果」の項においては、疎水性の素材と親水性の素材との選択による、両素材の境界における規正効果に関して、全く記載されていない。

当初明細書には、単に、「こうした素材は、受熱板の材質が疎水性を備えている場合、親水性のあるものを選択することができ」と記載されているだけである。そして、この場合、親水性の素材が接着された分だけ、接着部分は受熱板より高くなっているのであって、この規正効果も、上記のとおり、素材の接着後の突出する「高さ」によるものであると認められるから、この点を無視し、疎水性部分と親水性部分との性質のみに基づき規正効果が得られるとする原告の主張は失当である。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。

第6  当裁判所の判断

1  当初明細書(甲第2号証)には、「素材」及び「受熱板」に関する事項として、次の記載がある。

<1>  「輻射熱を受ける受熱板の表面に受熱媒体液を供給し、当該受熱媒体液を受熱板の表面に付着させ、付着した受熱媒体液を受熱板の表面に沿って流下させる流下式集熱器において」「受熱媒体液を供給する位置から受熱媒体液を採集する位置にかけて流下方向に可撓性のある素材を接着し、この素材で流下する受熱媒体液の方向を規正する流下式集熱器の受熱板の表面構造」(同号証明細書「特許請求の範囲」の記載)

<2>  「この受熱板には、受熱媒体液を供給する位置から受熱媒体液を採集する位置にかけて流下方向に可撓性のある素材を接着し、この素材で流下する受熱媒体液の方向を規正するようになっている。」(同3頁2~6行、「問題点を解決するための手段」の項)

<3>  「前記素材は、耐候性に優れたエラストマまたはプラストマ合成材料を使用することができる。こうした材料は、塗装、シルクスクリーン印刷、張り付けあるいは加熱転圧等の技術により受熱板の表面に接着され、種々のパターン模様を描いて設けられる。

受熱板には、ステンレスやアルミニウムのような金属製のものはもとより、繊維強化ポリエステル板、ポリカーボネイト板、メタクリル樹脂等の合成樹脂、あるいはガラス板やセラミック材料に属するものがある。あるいはシリコン系やフッ素系のシート材料も使用することができる。」(同3頁7~18行、同上)

<4>  「使用されている受熱板の原材料は、こうした原材料の持つ一次形状すなわち平板またはシートで用いられている。」(同4頁4~6行、「作用」の項)

<5>  「第4A図は、前述したパターンの素材1、1aを接着してある受熱板3を開放型の流下式集熱器に適用した例を示している。素材1、1aは、第4B図に示すように受熱板3の上側表面に接着されている。

他方、第5A図は、前述したパターンの素材を接着してある受熱板を密封型の流下式集熱器に適用した例を示している。素材1、1aは、第5B図に示すように受熱板3の下側表面に接着されている。」(同5頁10~17行、「実施例」の項)

<6>  「受熱板の原材料表面に可撓性のある素材を接着し、この素材で流下する受熱媒体液の方向を規正することにより、受熱板の表面に沿って流下する液体が集束したりまたは不規則に蛇行することがなくなり、比較的均一に広がった状態を維持して流下していく。この流下方向の規正効果は、受熱板の輪郭形状並びに受熱板の長さにより大きく左右されることがない。」(同7頁11~18行、「発明の効果」の項)

<7>  「さらに、素材は自由なパターン模様で受熱板面に接着することができ、また素材の厚みも数10ミクロンから数ミリに及ぶものまで、従来方法並びに周知の材料を用いて簡単に形成しそして接着することができる。」(同7頁19行~8頁3行、同上)

<8>  「こうした素材は、受熱板の材質が疎水性を備えている場合、親水性のあるものを選択することができ、また接着される面が受熱板の表側か裏側かに応じて耐候性に差を持たせることもできる。」(同8頁4~8行、同上)以上<1>~<8>の記載によれば、本願発明の特徴が、「受熱板の表面に、受熱媒体液の流下方向に可撓性のある素材を接着し、この素材で流下する受熱媒体液の方向を規正する」点にあることは明らかである。

この場合、素材の有する「高さ」については、これを必須の要件とする積極的な記載は見当たらないが、素材が厚みを有すること自体は原告も認めるところである。

また、「使用されている受熱板の原材料は、こうした原材料のもつ一次形状すなわち平板またはシートで用いられている」(上記<4>の記載)ところ、「素材の厚みも数10ミクロンから数ミリに及ぶものまで、従来方法並びに周知の材料を用いて簡単に形成しそして接着することができる」(上記<7>の記載)とされるのであるから、「素材」を「受熱板」に接着する場合には、「素材」の「厚み」により、通常は高さが生じるものと認められる。

なお、原告が主張するような、接着の一例として、加熱転圧による方法がある(上記<3>の記載)としても、このことから直ちに、原告主張のように、疎水性下地に対する圧着荷重を大きくし、親水性素材をシート内に押し込んで窪んだ親水性経路を造形することが自明であるとは認められ難いところであるし、このような接着の態様は、当初明細書には記載がない。

もっとも、以上のことから、当初明細書における受熱媒体液の流下方向の規正が、審決のいうように「素材の高さ(厚み)により規正されるもの」に限定されるか否かという点については、直ちにそう断定することはできず、原告主張のように、親水性、疎水性という素材の性質の違いによる流下方向の規正が当初明細書に開示されているか否かについて、なお検討を要するところである。

上記<8>には、「こうした素材は、受熱板の材質が疎水性を備えている場合、親水性のあるものを選択することができ」と記載されているが、この記載の趣旨は、明らかに、単に素材の選択可能性について記載されているだけであると認められ、この記載から、本件補正後の特許請求の範囲第1項に記載されている「親水性部分に付着した熱媒体液を疎水性部分が両側から挟むようにして移動中の熱媒体液に方向性を持たせる」構成が当業者にとって自明のこととは認められないし、上記記載とは逆に、受熱板が親水性部分で、素材が疎水性部分である場合については、当初明細書には何ら記載されていない。

また、上記<3>においても、「素材」と「受熱板」についての各使用できる材料、接着方法及び接着態様が記載されているが、各使用できる材料については、それらが「親水性」であるのか「疎水性」であるのかは明示されておらず、しかも「素材」及び「受熱板」としてどれとどれとを組み合わせるかについては、全く記載されていないから、この記載からは、親水性部分と疎水性部分とによって熱媒体液の流下方向を規正するという技術的思想をうかがうことはできない。

上記<6>においても、「受熱板の原材料表面に可撓性のある素材を接着し、この素材で流下する受熱媒体液の方向を規正することにより、受熱板の表面に沿って流下する液体が集束したりまたは不規則に蛇行することがなくなり、比較的均一に広がった状態を維持して流下していく。」と記載されているだけであって、疎水性の素材と親水性の素材との選択による、両素材の性質の違いを利用した流下規正に関しては、具体的な記載がない。

その他、当初明細書の発明の詳細な説明の項及び図面の記載に徴しても、当初明細書には、流下する受熱媒体液の方向を規正するために、「素材」が「疎水性部分」で、「受熱板」が「親水性部分」である場合についてまで、具体的に開示しているとは到底いえないし、また、疎水性の素材と親水性の素材との選択による、両素材の性質の違いを利用して流下方向を規正するという技術的事項が具体的に開示されているとはいえない。

2  これに対し、本件補正にかかる発明は、前示本件補正による特許請求の範囲記載のとおり、「流下方向に沿って隣接して設けた親水性部分と疎水性部分に沿って熱媒体液を流し、親水性部分に付着した熱媒体液を疎水性部分が両側から挟むようにして移動途中の熱媒体液に方向性を持たせる一方、熱媒体液の付着しにくい疎水性部分の介在により熱媒体液を分割し、他方、親水性部分を用いて熱媒体液を流下面に均等に分布させるようにした熱媒体液の流下規正方法。」(特許請求の範囲第1項)、「流下面に熱媒体液を供給し、流下面に付着した熱媒体液を流下させて熱交換を行なう流下規正シートにおいて、熱媒体液の流下面に疎水性部分とこの疎水性部分よりも熱媒体液の付着し易い親水性部分を隣接して交互に設け、両側を疎水性部分で挟まれた親水性部分により熱媒体液の移動経路を形成してなる熱媒体液の流下規正シート。」(同第2項)であり、当初明細書に記載されていた「受熱板の表面に司撓性の素材を接着し」という構成は要件とされていない。

以上の事実によると、本件補正にかかる発明は、当初明細書の「受熱板」に相当する「受熱体」ないし「流下面」の表面に疎水性部分または親水性部分を設けることによって、<1>「受熱体」と「素材」の関係が、疎水性部分と親水性部分、<2>又はその逆に両者の関係が親水性部分と疎水性部分となる場合のほか、<3>「受熱体」の表面に疎水性部分と親水性部分を隣接して交互に設けた場合(原被告がいう「面一の場合」も含む。)を含むものというべきである。

そうすると、本件補正にかかる発明においては、上記<1>の「受熱体」が疎水性部分で「素材」が親水性部分である場合は、仮にこのことが当初明細書に示唆されていると認めた場合には、本件補正前の発明と共通しているが、これとは逆に、<2>の「受熱体」が親水性部分で「素材」が疎水性部分である場合と、<3>の「受熱体」の表面に疎水性部分と親水性部分を隣接して交互に設けた場合については、当初明細書には具体的に記載がなく、また、当初明細書の記載から当業者にとって自明とはいえない新たな技術的事項を追加したものというべきである。

そうすると、本件補正は、当初明細書の要旨を変更するものといわざるをえないから、本件補正を却下した審決の判断は、結局において正当である。

3  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由は理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 芝田俊文 裁判官 清水節)

平成7年補正審判第50145号

審決

岡山県倉敷市阿知1丁目14番16号

請求人 高橋敬

昭和62年特許願第134376号「熱媒体液の流下規正方法と流下規正シート」において、平成5年6月30日付けでした手続補正に対してされた補正の却下の決定に対する審判事件について、次のとおり審決する。

結諭

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

1. 手続の経緯

本願は、昭和62年5月29日の出願であって、平成5年6月30日付けで手続補正がなされたところ、原審において、この手続補正について平成7年6月5日に補正の却下の決定をしたものである。

なお、上記補正の却下の決定においては、手続補正について、「平成5年8月27日付けでした手続補正」と記載されているが、同日付で提出されているのは、手数料補正書であって、上記補正の却下の決定にかかる手続補正は、請求人も認めているように、内容の上からも、明らかに「平成5年6月30日付けでした手続補正」の誤記であると認める。

2. 原決定の理由

上記補正の却下の決定(以下、「原決定」という。)の理由の概要は、次のとおりである。

「補正後の特許請求の範囲第1項に記載された「流下方向に沿って隣接して設けた親水性部分と疎水性部分に沿って熱媒体液を流し、親水性部分に付着した熱媒体液を疎水性部分が両側から挟むようにして移動途中の熱媒体液に方向性を持たせる一方、熱媒体液の付着しにくい疎水性部分の介在により熱媒体液を分割し、他方、親水性部分を用いて熱媒体液を流下面に均等に分布させるようにした」点及び同第2項に記載された「熱媒体液の流下面に疎水性部分とこの疎水性部分よりも熱媒体液の付着し易い親水性部分を隣接して交互に設け、両側を疎水性部分で挟まれた親水性部分により熱媒体液の移動経路を形成し」た点は、同時に補正された明細書の「親水性部分と疎水性部分との間に熱媒体に対する性質の異なる境界域が形成され、親水性部分に付着して流下する熱媒体液は親水性部分に沿って流れようとし、親水性部分からそれて疎水性部分を流れている熱媒体液はより流れ易い部分を求めて親水性部分に合流し、親水性部分を流れる熱媒体液の流れは消失するか熱媒体液の付着密度の異なる流れが形成される」(第6頁第5行ないし第13行)との記載によれば、流下面に親水性部分と疎水性部分という異なる性質の部分を形成し、この両部分の性質の違いにより熱媒体液の流下方向を規正するという技術的事項を意味するものと認められ、この技術的事項は、たとえば、親水性部分と疎水性部分が同一面上に形成された場合も含むものである。

一方、願書に最初に添付した明細書または図面には、流下面に形成された親水性部分と疎水性部分という材質の違いを利用して、熱媒体液の流下方向を規正するという技術的事項について記載されておらず、かつ、同明細書または図面の記載からみて自明の事項であるとも認められない。

したがって、この補正は明細書の要旨を変更するものと認められ、特許法第53条第1項の規定により却下すべきものである。」

3. 当審の判断

そこで検討すると、願書に最初に添付した明細書(以下、当初明細書という。)または図面には、「この受熱板には、受熱媒体液を供給する位置から受熱媒体液を採集する位置にかけて流下方向に可撓性のある素材を接着し、この素材で流下する受熱媒体液の方向を規正する」(当初明細書第3頁第2行ないし同第6行)点、「素材は、耐候性に優れたエラストマまたはプラストマ合成材料を使用することができる。こうした材料は、塗装、シルクスクリーン印刷、張り付けあるいは加熱転圧等の技術により受熱板の表面に接着され、種々のパターン模様を描いて設けられる」(当初明細書第3頁第7行ないし同第12行)点及び「素材の厚みも数10ミクロンから数ミリに及ぶものまで、従来方法並びに周知の材料を用いて簡単に形成しそして接着することができる」(当初明細書第7頁最終行ないし同第8頁第3行)点が記載されている。

これらの記載からみて、「接着」との用語の意味は、塗装や印刷により形成されたものをも含むと認められるものの、集熱板上に接着した素材は、たとえ数10ミクロンという微少なものであっても、あくまでも高さ(厚み)を有することを前提とするものであると認められる。

一方、当初明細書第8頁第4行ないし第6行には、「こうした素材は、受熱板の材質が疎水性を備えている場合、親水性のあるものを選択することができ」る点が記載されているものの、このような親水性素材を選択した場合であっても、該素材はあくまでも集熱板上に接着することを前提としており、「接着」に替える手段として、これら親水性素材の選択が記載されているものとも認められない。

この点に関して、請求人は、「数10ミクロン」とはメッキや塗膜の厚みに相当し、またこのような超微少な厚みから数ミリに及ぶ範囲を考慮すれば、親水性素材の「厚み」が必須要件でないことは明らかである旨主張しているが、親水性素材の選択が該素材の接着を前提としている以上、この主張には根拠がない。

さらに、請求人は、「接着される面が受熱板の表側か裏側かに応じて」(当初明細書第8頁第6行ないし同第7行)の記載から、親水性素材は受熱板の表側に限らず裏側にも接着して使用することができ、裏側に接着した場合の規正効果は熱媒体液に対する親疎の差に基づくものであり、なおさら素材の高さによるものではない旨主張しているが、上記引用部分について、当初明細書には「こうした素材は、受熱板の材質が疎水性を備えている場合、親水性のあるものを選択することができ、接着される面が受熱板の表側か裏側かに応じて耐候性に差を持たせることもできる。」(当初明細書第8頁第4行ないし同第8行)と記載されているのであって、該記載が耐候性についての素材の選択に係る記載である以上、この主張にも根拠がない。また、素材を裏側に接着した場合の規正効果は、特に親水性素材を接着した場合のみに限定されるものでもないから、この点からしても、この効果が熱媒体液に対する親疎の差に基づくものであるとの主張は、根拠がない。

よって、当初明細書及び図面においては、熱媒体液の流下方向は、上述のように集熱板上に接着した素材の高さ(厚み)により規正されるものであり、流下面上の材質の性質の違いにより規正されるものではないと認められる。

したがって、願書に最初に添付した明細書または図面には、流下面に形成された親水性部分と疎水性部分という材質の違いを利用して、熱媒体液の流下方向を規正するという技術的事項について記載されておらず、かつ、同明細書または図面の記載からみて自明の事項であるとも認められないから、上記日付でした手続補正は、明細書の要旨を変更するものである。

4. むすび

したがって、上記日付けでした手続補正は特許法第53条第1項の規定により却下すべきものとした原決定は妥当である。

よって、結論のとおり審決する。

平成8年1月16日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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